苦痛が強まるにつれ、思うこと
坐骨神経痛は、ますます痛みが増してきました。
骨盤も一部痛みます。坐骨神経が通っている部位近くです。
ベッドのマットレスが硬いのが気になりましたので、その上に柔らかめの敷布団を敷いています。
それに気付いたのが、金曜の晩のこと。
効果が出るのには、もう少し時間がかかるでしょうか?
骨盤も一部痛みます。坐骨神経が通っている部位近くです。
ベッドのマットレスが硬いのが気になりましたので、その上に柔らかめの敷布団を敷いています。
それに気付いたのが、金曜の晩のこと。
効果が出るのには、もう少し時間がかかるでしょうか?
・・・こんなことなら、もっと早くから気付けばよかった・・・
フトそんなことを思ってしまいました。しんどいときは、どうしてもグチっぽくなりますね。
明後日の月曜日が抗がん剤治療日です。
・・・主治医にどういう風に報告すれば、どう動いてくれるだろうか?・・・
症状の報告の仕方って、結構難しいですよね。
症状自体の細かな内容というよりも、『どれだけ辛いか』がきちんと伝わるように上手く報告しないと、必要な検査や処置が遅れる場合があります。
もちろん、どんな訴えにも(患者を安心させる目的も含めて)「じゃぁ、検査してみよう!」と動いてくれる医者ばかりなら、患者自身も変な悩みを抱える必要はないのでしょうけど・・・。
でも一方で、そうした検査は健康保険によってまかなわれているわけで・・・。
ある程度は主治医の判断で、急を要する症状か否かを判断していかなければ、
”国の社会保障費が・・・” ”病院自体の経営が・・・”
というジレンマがあることも確かであります。
特にがん治療などを実施している医療機関は、そのほとんどが公立または独立行政法人ですから。
また、がん治療に関する治療や検査に罹る諸経費を考えると、やればやるほど多大なコストがかかってきますので・・・。
もちろん、患者の側が気にすることではありません。僕が変に考えすぎるのがいけないのですね。
要は、診療報酬制度の不備が生んだ悲劇です。
何を基準にして診療報酬点数を決めているのかは知りませんが、患者さんのために一生懸命治療すればするほど、医療機関は赤字が増していくのです。
本当に恐ろしい話です。
こうした官僚的発想がまかり通っているからこそ、”国営マンガ喫茶”なるものの予算が、この不況の折に簡単に通ってしまうんですね。
・・・今回は、こうした話をするつもりではなかったのです。
(※単純に、キツイ症状が続くと心までもが蝕まれていくようで、ついヒガミっぽくなったり、考え方に柔軟性がなくなってしまいます。)
がん患者さんの側にいつもいらっしゃるご家族のほうが、むしろそうした患者の心の変化を読み取れるのでしょうか?
でも、だからと言って、どう対応すべきか?とても悩まれるのでしょうね。何もできず、立ち止まってしまうでしょう。
こういう時は、もしかしたら患者なんて、ある意味気楽なものかも知れません。
今の僕のように、好き勝手なことを感情に任せて叫び散らせればよいわけですから。
逆にご家族はお辛いことだと思います。また、感情に任せて好き勝手に叫べない患者さんも・・・。
何もできないことこそが、本当に辛いことなのですよね。
こんなとき、どうすれば乗り越えていけるのでしょうかね?お互いに。
最近僕は、今まで閲覧したことなかった闘病記BLOGを探しては、読みふけっています。
特に同じ胃癌患者さんのものを。
現在治療に取り組んでいらっしゃる方のも、更新が途中で止まったままの方のも、あるいは不幸にして・・・。
いろいろです。
そこで共通するのは、
辛い症状に罹っていることを記事に綴ると、たくさんの励ましコメントが寄せられますが、
それらへのBLOG主からのお返事を読んでいると、
・・・このBLOG主の人、無理して『がんばっていきます』的なお返事してるんじゃないかなぁ?・・・
と思うことがあります。
大抵闘病記BLOGを綴っている方は前向きな方が多いので、僕も確かに励まされることが多いです。
すごいなぁと、自身の振る舞いについても改めて考えさせられます。支えにもなります。
しかし、
本当に辛いときにも、そうした声援に”応え続けなければならない”プレッシャーみたいなものを感じていらっしゃるとしたら、それは本当にむごいことです。
だって、身体も心も両方が辛いときなんですから。
読者もそうした点をもっと考慮して、
ご本人がもっと素直に気持ちを表現できるような、そんなコメントをするべきでは?と身勝手なことを考えてしまいます。
BLOG主はまるで、アイドルみたいなもんですかね?
ファンの声援に応える中で、自分のキャラクターが(無意識に、自然に)固まってしまって、
辛いときにも素直になれない・・・。
愚痴をこぼしたくても、「がんばって」の一言でそれができなくなる。がんばってしまう。
あるいは、「しんどい時は、家族に甘えればいいんだ」と勝手な解釈で安易にコメントする。
辛いときほど逆に、「家族には迷惑かけたくない」と考えてしまう人もいるでしょうに・・・。
つい何回か前の記事でも、似たようなことを書きましたね。そういえば。
少し前から僕は、ネタが思いつかなければ記事は更新しないようになりましたし、他の方のBLOGにお邪魔しても、コメントを残さないようにしています。
BLOG上での僕の”偶像”みたいなものを自分で作り上げて、自分で自分を縛りたくない。そんな気持ちになったからです。
あるいは、相手に対しておせっかいな助言的コメントを残すのが、恥ずかしくなったのです。
悩み始めた頃、いつもコメントいただいている方が、「一杯吐き出してください。聞くことしかできませんけど。」とおっしゃってくれたことがあります。
とても心に響きました。
自分のBLOGの中でなら、好きなときに好きなことを言えます。
(※特定の他者への誹謗中傷など、僕が倫理違反することさえしなければ。)
だからこれからも、思いついたときに、思いつくままに綴っていこうと思いますが・・・。
日頃から読んでくださっている皆さんは、今までどおりコメント下さい。
どの方も僕にとっては、とても支えになる嬉しいコメントばかりですから。
僕は本当に恵まれていると思います。
このBLOGでのいろんなやりとりがあってこその、僕の闘病なのです。
これなしには、前向きに病気と向き合えませんからね。


フトそんなことを思ってしまいました。しんどいときは、どうしてもグチっぽくなりますね。
明後日の月曜日が抗がん剤治療日です。
・・・主治医にどういう風に報告すれば、どう動いてくれるだろうか?・・・
症状の報告の仕方って、結構難しいですよね。
症状自体の細かな内容というよりも、『どれだけ辛いか』がきちんと伝わるように上手く報告しないと、必要な検査や処置が遅れる場合があります。
もちろん、どんな訴えにも(患者を安心させる目的も含めて)「じゃぁ、検査してみよう!」と動いてくれる医者ばかりなら、患者自身も変な悩みを抱える必要はないのでしょうけど・・・。
でも一方で、そうした検査は健康保険によってまかなわれているわけで・・・。
ある程度は主治医の判断で、急を要する症状か否かを判断していかなければ、
”国の社会保障費が・・・” ”病院自体の経営が・・・”
というジレンマがあることも確かであります。
特にがん治療などを実施している医療機関は、そのほとんどが公立または独立行政法人ですから。
また、がん治療に関する治療や検査に罹る諸経費を考えると、やればやるほど多大なコストがかかってきますので・・・。
もちろん、患者の側が気にすることではありません。僕が変に考えすぎるのがいけないのですね。
要は、診療報酬制度の不備が生んだ悲劇です。
何を基準にして診療報酬点数を決めているのかは知りませんが、患者さんのために一生懸命治療すればするほど、医療機関は赤字が増していくのです。
本当に恐ろしい話です。
こうした官僚的発想がまかり通っているからこそ、”国営マンガ喫茶”なるものの予算が、この不況の折に簡単に通ってしまうんですね。
・・・今回は、こうした話をするつもりではなかったのです。
(※単純に、キツイ症状が続くと心までもが蝕まれていくようで、ついヒガミっぽくなったり、考え方に柔軟性がなくなってしまいます。)
がん患者さんの側にいつもいらっしゃるご家族のほうが、むしろそうした患者の心の変化を読み取れるのでしょうか?
でも、だからと言って、どう対応すべきか?とても悩まれるのでしょうね。何もできず、立ち止まってしまうでしょう。
こういう時は、もしかしたら患者なんて、ある意味気楽なものかも知れません。
今の僕のように、好き勝手なことを感情に任せて叫び散らせればよいわけですから。
逆にご家族はお辛いことだと思います。また、感情に任せて好き勝手に叫べない患者さんも・・・。
何もできないことこそが、本当に辛いことなのですよね。
こんなとき、どうすれば乗り越えていけるのでしょうかね?お互いに。
最近僕は、今まで閲覧したことなかった闘病記BLOGを探しては、読みふけっています。
特に同じ胃癌患者さんのものを。
現在治療に取り組んでいらっしゃる方のも、更新が途中で止まったままの方のも、あるいは不幸にして・・・。
いろいろです。
そこで共通するのは、
辛い症状に罹っていることを記事に綴ると、たくさんの励ましコメントが寄せられますが、
それらへのBLOG主からのお返事を読んでいると、
・・・このBLOG主の人、無理して『がんばっていきます』的なお返事してるんじゃないかなぁ?・・・
と思うことがあります。
大抵闘病記BLOGを綴っている方は前向きな方が多いので、僕も確かに励まされることが多いです。
すごいなぁと、自身の振る舞いについても改めて考えさせられます。支えにもなります。
しかし、
本当に辛いときにも、そうした声援に”応え続けなければならない”プレッシャーみたいなものを感じていらっしゃるとしたら、それは本当にむごいことです。
だって、身体も心も両方が辛いときなんですから。
読者もそうした点をもっと考慮して、
ご本人がもっと素直に気持ちを表現できるような、そんなコメントをするべきでは?と身勝手なことを考えてしまいます。
BLOG主はまるで、アイドルみたいなもんですかね?
ファンの声援に応える中で、自分のキャラクターが(無意識に、自然に)固まってしまって、
辛いときにも素直になれない・・・。
愚痴をこぼしたくても、「がんばって」の一言でそれができなくなる。がんばってしまう。
あるいは、「しんどい時は、家族に甘えればいいんだ」と勝手な解釈で安易にコメントする。
辛いときほど逆に、「家族には迷惑かけたくない」と考えてしまう人もいるでしょうに・・・。
つい何回か前の記事でも、似たようなことを書きましたね。そういえば。
少し前から僕は、ネタが思いつかなければ記事は更新しないようになりましたし、他の方のBLOGにお邪魔しても、コメントを残さないようにしています。
BLOG上での僕の”偶像”みたいなものを自分で作り上げて、自分で自分を縛りたくない。そんな気持ちになったからです。
あるいは、相手に対しておせっかいな助言的コメントを残すのが、恥ずかしくなったのです。
悩み始めた頃、いつもコメントいただいている方が、「一杯吐き出してください。聞くことしかできませんけど。」とおっしゃってくれたことがあります。
とても心に響きました。
自分のBLOGの中でなら、好きなときに好きなことを言えます。
(※特定の他者への誹謗中傷など、僕が倫理違反することさえしなければ。)
だからこれからも、思いついたときに、思いつくままに綴っていこうと思いますが・・・。
日頃から読んでくださっている皆さんは、今までどおりコメント下さい。
どの方も僕にとっては、とても支えになる嬉しいコメントばかりですから。
僕は本当に恵まれていると思います。
このBLOGでのいろんなやりとりがあってこその、僕の闘病なのです。
これなしには、前向きに病気と向き合えませんからね。

