苦痛が強まるにつれ、思うこと②
昨日は治療日でした。
坐骨神経痛が強まってきていることと、あともう一つ、気になる症状があったので報告しました。
これは、場合によっては生命の危機につながりかねない症状かも知れないのですが、自覚症状のみでは判断しかねないものなので、
坐骨神経痛が強まってきていることと、あともう一つ、気になる症状があったので報告しました。
これは、場合によっては生命の危機につながりかねない症状かも知れないのですが、自覚症状のみでは判断しかねないものなので、
「伝わらないだろうなぁ」と予想はしていましたが、
主治医の答えは、やはり「うーん、ビミョウだねぇ」でした。
結局精密検査はせずじまい。そのまま化学療法室へ行って、いつもどおり点滴を受けて帰りました。
こうして端的に綴ってしまうと、『なんだこの主治医。やる気ねーなー<`ヘ´>』となります。
今回だけは、僕もそう思いました。
これだけ症状がいろいろ出てるんだから検査してくれるだろう、という強い思いをもって臨んだ診察でしたからね。
こういう気持ちのギャップが、いつの間にか信頼関係を崩す要因になるのだろうと思います。
化学療法室でがん認定看護師にことの仔細を話しました。
「やっぱりどうせなら、きちんと原因を知りたいですよね。その上で、症状を緩和の処置なりをするって順番じゃないと、不安ですもんね。」
と理解はしてくれました。
最近になって、受診票の下のほうに「がん性疼痛緩和指導管理料」という項目が追加されるようになってました。
どんな内容なのかは知りませんが、”書いて字のごとく”のはずです。はずですが・・・?
でも調べてみると、単に医療用麻薬を処方すれば診療報酬点数100点が取れますよ、というだけのもののようです。
指導っていうのは、麻薬の効果や副作用など療養上必要な指導を行えばよいだけらしく、『がん性疼痛緩和』自体に対する総合的ケアを指しているわけではないようでした。
2008年度の診療報酬改定で新設されたようですが、やっぱりこれが官僚的思考なのでしょうか?
なぜ、今更点数100点追加すれば、緩和ケアが普及するのか?
。。。感覚が浮世離れしすぎです。医療業界ってホントに狭いんですね。そう感じます。
世界が狭い、と言えば、看護師にだって言えます。
いや、看護師独特の問題ではないですね。医療職者全体の問題だと感じます。
今は「インフォームドコンセント」とか「チーム医療」「患者中心の医療」という考え方がアメリカから導入されて、段々と広まりつつありますね。
確かに病院で働いていても、以前とはずいぶん変わったなぁ、と思います。
僕は2000年の介護保険制度施行開始年から今の病院に入職しました。ちょうど古い体質から新しい風土作りへの転換期だったので、その変化の様がよくわかりました。
でもつい最近ですが、一時期外来などで患者さんを呼ぶとき「○○様」と呼んでなかったですか?
いまでもそれを続けている医療施設ってあるんですかね?
僕はあれほどの愚策はないな、と今でも呆れてます。要するに”医療者が上で患者が下”みたいな関係を改善していこうという取り組みだったように記憶してますが、全くのトンチンカンです。
『様』呼ばわりすれば、それで済むことだったのでしょうか?
そう呼ばれて満足する患者が、果たしてどれだけいたでしょうか?
(※そんな風に崇められて気を良くするような人間って・・・?そっちのほうが問題です。)
医療者って、狭い世界で生きているんです。病院って閉ざされた空間でしょ?
そういう世界に新卒で入ってきた若い人たちは、それが当たり前であり、それが社会の普通の常識だと思い込んでしまうんですね。
点滴の針刺しを失敗して、それでもすました顔している医療者に担当された経験ないですか?
いくら『医療者も患者も同じ立場で一緒に治療に取り組みます!』って言っても、やっぱりちょっと違うんですよね。
すました顔している医療者って言うのは、大抵は『怒られるのが怖いから、逆に平然さを振舞ってやり過ごす』か、『入りにくい血管なんだから、失敗だってありますよ』くらいに思っているかのどちらかです。
どちらにしても、現場の先輩職員の姿を見て、そうした処世術を会得していってしまうんです。
一応の暗黙のルールとして、「3回失敗したら、速やかに別のスタッフに代わりましょう」というのがあります。
ただし、これは業界内で一般的に言われてはいますが、実際どうしてるかは施設ごと・その人次第で違います。
ここで「3回」というものをどう捉えるかがポイントです。
「3回もあるんだから」って考えてしまうと、その間の失敗は「許してよ」という認識になります。
でも、「回数の問題じゃない」と考えれば”1回1回が真剣勝負”です。針刺しの傷みの辛さもわかっているんですから、失敗するごとに「申し訳ありません。もう1回いいですか?」と頭も下げられます。
そういうもんだと、僕はずっと思い続けています。
(※でもね・・・平たく言っちゃうと「下手な人ほど、余裕がない」んです。たったそれだけのことです。針刺しの傷みは知ってるんですから、余計にビビっちゃうんですね。)
僕は元々セールスの仕事をしてましたので、頭を下げるのが仕事みたいなものでした。
看護学校へ通うために介護職として入職した当初は、変わり者扱いでした。頭を下げたせいで上司から怒られたこともありましたよ。
「そんなことしたら、余計患者さんが不信がるでしょ?毅然としてないと、逆に信用無くすんです!」
これが、かつての古き悪しき慣習でした。物事の本質が見えてないんですね。
だから時代が変わった途端、今度は逆に『様』呼ばわりするっていう発想になるんでは?
そう思います。


主治医の答えは、やはり「うーん、ビミョウだねぇ」でした。
結局精密検査はせずじまい。そのまま化学療法室へ行って、いつもどおり点滴を受けて帰りました。
こうして端的に綴ってしまうと、『なんだこの主治医。やる気ねーなー<`ヘ´>』となります。
今回だけは、僕もそう思いました。
これだけ症状がいろいろ出てるんだから検査してくれるだろう、という強い思いをもって臨んだ診察でしたからね。
こういう気持ちのギャップが、いつの間にか信頼関係を崩す要因になるのだろうと思います。
化学療法室でがん認定看護師にことの仔細を話しました。
「やっぱりどうせなら、きちんと原因を知りたいですよね。その上で、症状を緩和の処置なりをするって順番じゃないと、不安ですもんね。」
と理解はしてくれました。
最近になって、受診票の下のほうに「がん性疼痛緩和指導管理料」という項目が追加されるようになってました。
どんな内容なのかは知りませんが、”書いて字のごとく”のはずです。はずですが・・・?
でも調べてみると、単に医療用麻薬を処方すれば診療報酬点数100点が取れますよ、というだけのもののようです。
指導っていうのは、麻薬の効果や副作用など療養上必要な指導を行えばよいだけらしく、『がん性疼痛緩和』自体に対する総合的ケアを指しているわけではないようでした。
2008年度の診療報酬改定で新設されたようですが、やっぱりこれが官僚的思考なのでしょうか?
なぜ、今更点数100点追加すれば、緩和ケアが普及するのか?
。。。感覚が浮世離れしすぎです。医療業界ってホントに狭いんですね。そう感じます。
世界が狭い、と言えば、看護師にだって言えます。
いや、看護師独特の問題ではないですね。医療職者全体の問題だと感じます。
今は「インフォームドコンセント」とか「チーム医療」「患者中心の医療」という考え方がアメリカから導入されて、段々と広まりつつありますね。
確かに病院で働いていても、以前とはずいぶん変わったなぁ、と思います。
僕は2000年の介護保険制度施行開始年から今の病院に入職しました。ちょうど古い体質から新しい風土作りへの転換期だったので、その変化の様がよくわかりました。
でもつい最近ですが、一時期外来などで患者さんを呼ぶとき「○○様」と呼んでなかったですか?
いまでもそれを続けている医療施設ってあるんですかね?
僕はあれほどの愚策はないな、と今でも呆れてます。要するに”医療者が上で患者が下”みたいな関係を改善していこうという取り組みだったように記憶してますが、全くのトンチンカンです。
『様』呼ばわりすれば、それで済むことだったのでしょうか?
そう呼ばれて満足する患者が、果たしてどれだけいたでしょうか?
(※そんな風に崇められて気を良くするような人間って・・・?そっちのほうが問題です。)
医療者って、狭い世界で生きているんです。病院って閉ざされた空間でしょ?
そういう世界に新卒で入ってきた若い人たちは、それが当たり前であり、それが社会の普通の常識だと思い込んでしまうんですね。
点滴の針刺しを失敗して、それでもすました顔している医療者に担当された経験ないですか?
いくら『医療者も患者も同じ立場で一緒に治療に取り組みます!』って言っても、やっぱりちょっと違うんですよね。
すました顔している医療者って言うのは、大抵は『怒られるのが怖いから、逆に平然さを振舞ってやり過ごす』か、『入りにくい血管なんだから、失敗だってありますよ』くらいに思っているかのどちらかです。
どちらにしても、現場の先輩職員の姿を見て、そうした処世術を会得していってしまうんです。
一応の暗黙のルールとして、「3回失敗したら、速やかに別のスタッフに代わりましょう」というのがあります。
ただし、これは業界内で一般的に言われてはいますが、実際どうしてるかは施設ごと・その人次第で違います。
ここで「3回」というものをどう捉えるかがポイントです。
「3回もあるんだから」って考えてしまうと、その間の失敗は「許してよ」という認識になります。
でも、「回数の問題じゃない」と考えれば”1回1回が真剣勝負”です。針刺しの傷みの辛さもわかっているんですから、失敗するごとに「申し訳ありません。もう1回いいですか?」と頭も下げられます。
そういうもんだと、僕はずっと思い続けています。
(※でもね・・・平たく言っちゃうと「下手な人ほど、余裕がない」んです。たったそれだけのことです。針刺しの傷みは知ってるんですから、余計にビビっちゃうんですね。)
僕は元々セールスの仕事をしてましたので、頭を下げるのが仕事みたいなものでした。
看護学校へ通うために介護職として入職した当初は、変わり者扱いでした。頭を下げたせいで上司から怒られたこともありましたよ。
「そんなことしたら、余計患者さんが不信がるでしょ?毅然としてないと、逆に信用無くすんです!」
これが、かつての古き悪しき慣習でした。物事の本質が見えてないんですね。
だから時代が変わった途端、今度は逆に『様』呼ばわりするっていう発想になるんでは?
そう思います。

